
〈お釈迦さまの成道〉
お釈迦さまは、幼いときから「人は何のために生まれ、そして生きていくのか」という悩みを抱えて
おられました。この問題を解決するために妻子と離れ、二十九歳の時に王子としての生活を捨てて
修行者となりました。すぐに二人の先生のもとで懸命に修行に励まれ、すべてを習得されましたが
悩みは解決されませんでした。そこで釈尊は、身体を苦しめることで心の平安を得ようとする激しい
苦行に入られました。時には一粒の米で一日を過ごし、あるいは全く食を断つなど、それは六年
にも及ぶ過酷なものであったと伝えられています。しかし身も心も衰えるばかりで、悩みは深まる
一方でした。この修行の無意味さを実感されたお釈迦さまはその修行をやめ、弱り切った体を
ネーランジャラー河の水で洗われました。そこで身を清めて勇気を奮い起こされた太子は、
大きな菩提樹(ぼだいじゅ)の下に座って、真理を悟るまではこの場から離れないという決意のもと、
四十九日間の瞑想(めいそう)に入りました。お釈迦さまは瞑想中におこるさまざまな心の迷いに
打ち勝ち、ついに知恵(智慧(ちえ))の眼を得て真理を悟られました。時に三十五才、十二月八日の
ことでした。
成道会にあたり、音楽法要が勤修されました。
献花
ご法話は相愛大学人文学部准教授の直林不退師です。
お釈迦さまは新たな真理を悟られたのではなく、永遠の真理に気づかれました。それはニュートンが
リンゴが落ちる姿を見て万有引力の存在を発見したことと同じように、お釈迦さまは阿弥陀仏が
私たちを願い続けに願ってくださるご本願に気づかれてお念仏の教えを説かれたことを、小林一茶の
句を交えてお話しいただきました。思うようにならない人生だからこそ、悲しみや苦しみの尽きない
人間だからこそ、自らの力に頼るのではなく、阿弥陀さまのご本願にお任せをしていくのが本当の
念仏者なのです。成道会の法要を通して、改めて阿弥陀仏のお慈悲の暖かさに気づかせて
いただきました。