相愛高等学校 相愛中学校 オフィシャルブログ
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2014年01月06日

ウィンタースクールにむけて(キャリア教育推進部より)

 平成24年で、長野県にスキーが伝わってちょうど100年だったそうです。 

 明治45年に新潟県高田連隊における講習会から帰った市川達譲妙専寺住職(飯山中学校教諭)が飯山城跡で滑走したのが、長野県のスキー史の始まり(長野県学習旅行誘致推進協議会「冬の体験学習」による)だそうです。積極的に雪山の移動手段として活用が見込まれたのは、この講習会からさかのぼる10年前(1902年)に青森県八甲田山において210名中199名が死亡した八甲田雪中行軍遭難事件〈日露戦争をひかえた寒冷地における予行演習が大惨事になった事件、新田次郎『八甲田山死の彷徨』を参照して下さい〉を契機にして、行われた講習会の一つだと思われます。白銀に覆われた美しい雪山が、危険きわまりないものになることを多くの日本人が猛省したと言うことなのでしょう。そこから約100年、日本の2度にわたる冬季オリンピック(冬期オリンピックは1924年に始まりますが、第11回〈1972〉札幌と第18回〈1998〉に長野で開催)を開催し、冬季五輪においても多くの選手が活躍を見せています。もちろん競技ばかりでなくそれを支えるウィンタースポーツレジャーの振興、また極寒地に適した衣料素材の開発と普及がそこには存在しています。そのような素材が使われた物を、私たちは今、普段使いしていることにあらためて思いをはせることができるのではないかと思います。

 レジャーとして侮ることなく、また自分の住んでいないところだからと特別視することなく、ウィンタースクールを楽しんでもらいたいと思います。学ぶべきものがどれほど多く存在しているのだろうと考えることができるようになったら、ウィンタースクールの体験の価値がさらに高まります。どんなスポーツにも危険はつきものですが、安全のための心がけはしっかりとなされています。学校はもちろんのこと、スキースクールのコーチ、ホテルの方々もそのサポートにあたって下さいます。

 申し遅れましたが、今回お世話になるスキースクールの校長海和俊宏校長先生は1977年FISワールドカップ・男子回転で7位、翌1978年FISワールドカップ・男子回転で5位入賞。技術的には世界トップクラスの選手だったという、素晴らしい先生です。海和先生を慕う技術レベルの高いコーチ達が集うスクールにお世話になります。

 よく話を聞き、まずは楽しんで下さい。


(文責 キャリア教育推進部 部長 若生哲)

2014.01.06
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