相愛高等学校 相愛中学校 オフィシャルブログ
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2015年01月10日

「機能」としてのキャリア教育

 「キャリア教育」について理解が十分でないとか、誤解が蔓延しているなどという声をたくさんいただいています。これについては、今後もさまざまな角度から説明や実践あるいはキャリア教育という教育活動から理解していただくより仕方がないと思いますが、今できることとして、誤解を取り除いていく作業は大切だと考えていますので、この点を「機能」の面からお話しておこうと思います。

  極端な例ですが「キャリア教育」って、「つまり就職できれば良いんでしょ」という人がいます。「キャリア」には「仕事」という意味もあり、このように誤解される向きもあるのですが、「職歴・経歴」を意味します。さらに誤解なきよう加えておきますが「運び手」というのは、英単語のスペルがちがいますからこちらとは混同してはなりません。「経歴」というのは、「これまでの、そしてこれからの人生の履歴」であり、「尊いいのち、かけがえのない人生」を大切にする相愛中学校高等学校のキャリア教育のガイダンスでは「未来の幸福のために」というフレーズを使って説明しています。

  もう少し掘り下げていきましょう。何故このように誤解してしまうのか。学校カリキュラムは、中学高校の場合「学習指導要領」があり、そこに教科・科目がしっかりと定められていることに基づいて授業がなされます。こうした授業は、生徒個人により習得の濃淡はあるものの、教育を受ける機会のクオリティを日本のあらゆる学校で受けることができるという国家施策によるものだと皆さんが知っています。ですから、文科省が経産省が「キャリア教育」と言ったときに、授業をイメージすることと重ねて、「領域」や「分野」であると誤解しやすくなるのです。

  では、「キャリア教育」とは何か?「教育」が、それを受ける人の請け負う「役割」の遂行能力の育成に資するものとなっているならば、それこそが「キャリア教育」だと法政大学児美川孝一郎先生は説明しています。ちょっと難しい説明ですね。判りやすく、そのよう点をつまみ出しながら説明を加えると、「役割」を担うことが先生の定義の前提ですから、まず社会で共に生きるための教育ということになります。我が校は親鸞聖人のみ教えをいただいているわけですから「共生(ともいき)」というのがあることを生徒の皆さんは知っています。社会とは、広い意味での社会ですから家族や地域や学校などさまざまに読み替えてみてください。「未来の幸福のために」というフレーズは、自分だけが幸せであればそれで良いという考え方は決して含んではいません。広い意味での「社会」を学ぶことから、「役割」へのアダプテーションに至るまでさまざまです。自分一人だけの幸福も、真の幸福とは言えない。個人と公共性のバランスの上に「未来の幸福」はあるはずだと考えています。これが相愛学園のキャリア教育の原点の一つです。

  相愛中学1年生には、「動物の擬態写真」から『「気づき」と学び』を考えてもらいました。(えっと思った人は...やがて判るようになりますから安心して下さい)中学3年生になると、『「遊び」の中の「学び」』を理解してもらうような実践授業を受けてもらいました。「遊んでいては学ぶことなどできない」の真偽を述べよという哲学的な問いかけにも対応できる知恵が身についていると思います。(私、そんなこと答えられませんと思っている人は、表現力だけの問題だと思います。答えはあなたの中にありますから...と伝えておきます)こんなことは、他校では教えてはいないことと思います。しかし、私たちの学園の「学び」においてはとても大切なことであり、卒業生の誰でもが、そんな当たり前のこと...と思っていることを「キャリア教育」として前面に少し押し出しただけのことです。「キャリア教育」コンテンツには、とても新しいものもありますが、それは在校生だけのお楽しみです。在校生は是非とも積極的に参加してほしいと思います。参加できなかった在校生や卒業生、または保護者の皆様方は、ブログや校内に設置されたインフォメーションディスプレイを通して報告などを御覧下さい。


(キャリア教育推進部 部長 若生哲)

2015.01.10
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