「沙羅の木だより」第24号


平成30年9月21日


 突然ですが、私は『校長』と呼ばれることを善しとしません。歴任校でも、生徒や教職員の皆さんに、「校長先生と呼んでください」とお願いしてきました。教頭のときも同じでした。私はそれくらい『先生』にこだわりを持ち続け、このご時世においても、教師という仕事は『聖職』であるとの信念を持っています。高校の恩師にあこがれ教師となり、先生と呼ばれることに誇りと生きがい、そして使命を感じながら38年勤めてきました。大学での専攻は地理学ですが、中学・高校では歴史や政経、倫社など何でも教えていました。そんな私も、授業をしなくなって、かれこれ18年になります。つい先日、高1のあるクラスで日本史が自習になるという話を聞きつけ、自ら進んで代行を買ってでました。教科書と出席簿を持って、ルンルン気分で教室へサプライズ登場したところ、最初は驚いた表情を見せていたクラスの皆さんも、すぐに温かく迎え入れてくれました。(相愛の生徒は皆やさしい!) 教材研究をしていないので授業は断念し、『ありがたーいお話(つまり雑談)』を50分間いたしました。生徒の皆さんは、校長先生の話をしっかり聞いてくれたのですが、『昭和のレトロギャグ』だけは不発でした...。それにしても、チョークを持つあの感触は久しぶりでしたし、やっぱり教室の雰囲気は良いですね。自分が先生であることを思い出させてくれた、至福のひと時でありました。 

20180926_saranoki.JPG
 ところで、この18年の間に、歴史教科書の記載内容がずいぶん変わっています。例えば、『仁徳天皇陵』は『大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)』に、『聖徳太子』は『厩戸王(うまやとおう)』と記載されていますし、日本で最も古い貨幣は『和同開珎』から『富本銭(ふほんせん)』に、大化の改新は『645年』から『646年』に、そして、鎌倉幕府の成立年は『1192(イイクニ)』から『1185(イイハコ)』にそれぞれ変更されています。もちろん、そのことは私も知ってはいましたが、長期間、教壇に立っていないブランクはやはり大きいものがあります。歴史は、新たな解釈や発見がおこるたびに変わるので、科学技術のますますの進歩とともに、これからも教科書の書き換えが行われることでしょう。皆さまも「へぇ、そうなのか」とお感じのこととお察しいたします。中高生の保護者の皆さま、ぜひ一度、お子さんの歴史教科書を借りて、目をとおしてみてください。新たな発見があるかもしれません。また、大きな書店には、教科書と同じ内容のものが一般書として販売されていますので、ご参考まで。