「沙羅の木だより」その4


令和元年5月8日


 朝、いつものように北御堂さんの山門下に立って、生徒の皆さんを出迎えていると、とても清々しく爽やかに感じます。青葉が鮮やかな良い季節となりました。


 令和になって、初の沙羅の木だよりです。長かったゴールデン・ウイークも終わり、また現実が戻ってまいりました。昨日、私も久しぶりの出勤でしたが、ちゃんと道に迷わず学校まで来れました。まだまだ、大丈夫です。通勤車内は普段より混んでいますし、みやげ物と思しき紙袋を下げている方も多く見かけますが、その表情は一様におつかれモード、「お父さん、お母さんはつらいよ」ですね。わが家のGWはといいますと、栃木県で一人暮らしをしている社会人の長男が帰省していたので、家族4人でのんびりと過ごしました。いつもより、ずいぶん遅起きして、昼間はテレビで野球や映画を観て、夕方からは焼肉バイキングに行ったり、険しい山道の上にある、地元では超有名なピザ屋さんに行ったりして、食道楽の日々でありました。その結果は案の定、ヘルスメーターが「やばいヨ、ヤバイよ!」


 GW中、一日だけ遠出をしました。先月29日(昭和の日)、大学時代の学生寮の同窓会があって、新幹線ではなく、あの頃と同じように近鉄と名鉄を乗り継いで、青春時代の思い出多き第二の故郷に行ってきました。わがSu寮と交流のあった、国立病院附属看護学校のSh寮との合同同窓会ということで、総勢60名ほどが参加していました。Su寮は私の3学年上の先輩から、3学年下の後輩まで、卒寮以来初めて会う人もたくさんいて、姿形は変われども、表情やお国なまりは当時のままで、すぐに昔話に華が咲きました。日本拳法部出身の硬派で、酔うと人格が豹変した2学年上のYさんは、故郷の北海道で神官をされているとか、全寮長だった岐阜県出身のIさんは、長らく枚方市に住んでいるとか、興味ある話をたくさん聞くことができました。私と同期の熊本県出身で、現在北海道帯広市在住のNくんは、当時の白黒やカラー写真をかき集めて、パワーポイントで映写してくれました。もちろん、そこには若かりし頃のスリムな私の姿もありました。手をつないで一緒に歌をうたっていた、国看Sh寮の皆さんとも再会できました。お互いに年輪を積み重ねましたが「ムッチ」に「タカ」、「クッチ」に「フッコちゃん」、気がつけば40年前のニックネームで呼んでいました。残念ながら、Su寮もSh寮も、今はもうありません。

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 最後にお知らせです。本校吹奏楽部が「Osaka Metro 1周年記念駅コンサート」に出演します。5月12日(日)13時~14時、15時30分~16時30分の二部制で、場所は中央線本町駅東改札を出てすぐです。オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラも演奏します。ぜひ、本町にお越しください。